STORY 「離陸の角度」を保ち続けて……
吉備人の30年

第1章編集工房吉備人の発進(1995年~)

初めての本は『楯築遺跡と卑弥呼の鬼道』

スタート当初につくった名刺には、「編集工房吉備人」という屋号を記した。出版は前面に出さず、編集プロダクションを中心の業務として、チャンスがあれば自社の本をという程度の位置づけだった。というか、取材し原稿を書くことはこれまでやってきたので、それなりに経験も自信もあったが、出版の経験はわずかといっていいほどしかなかった。
そのころ、身近には「あどりえぼう」や「エディターズ」といった勢いのある編集プロダクションがあった。それだけに、きっと編プロならやっていける、そんな思いがあったのだと思う。山陽新聞社出版局、KG情報出版、瀬戸内海経済レポートなどから取材、編集制作の外注仕事を受け、月々の売上にしていた。
山陽新聞社出版局は「myおかやま」という情報誌を定期的に発行していた。その特集ページや別冊増刊など編集部から依頼されるものもあれば、企画案を出し、OKが出ればその仕事がまとまって受けられるというシステムもあった。ラーメン特集やら遊び場ガイドなどの取材をせっせとやっていた。
ラーメン特集を担当した金澤は、一週間以上、人気店のラーメンを毎日食べ続け、さすがに「もうラーメンは見たくもない」ともらしていた。遊び場ガイドは、休みの日に家族を連れて龍ノ口山周辺で遊び、子どもたちを写真のモデルにしたりもした。

ところが、スタートして2、3カ月たった6月だったと思う。出版の話が舞い込んできた。山川が岡山リビング新聞社をやめて独立したことを耳にした薬師寺慎一さんからの電話だった。
「吉備津の薬師寺です」。薬師寺さんからの電話は、いつもこのあいさつから始まる。
「山川さん、リビングを辞められて、会社をつくったそうですが、その会社は本をつくってくれるんですか?」
薬師寺さんからの電話の一言ひとことは、今でも鮮明に覚えている。薬師寺さんは、1924年(大正13)生まれ。中学教師、定時制高校の教師を勤め、退職後60歳になってから吉備の古代史、祭祀研究に取り組むようになった。1989年(平成元)の暮れに『吉備の古代史と海人』(大和書房)を出版。その本の取材で吉備津の自宅を訪問したのが、薬師寺さんとの出会いだった。本の内容を詳しく書いたその記事を、なぜかとても気に入ってくれた。「山川さんが書いた記事がいちばん正確だった」というのがその理由だった。古代史に詳しくない若い編集記者が、説明を受けたその内容をその通りに書いただけなのだが、それが良かったのかもしれない。

薬師寺さんの最後の著書となった『吉備の古代史事典』が出来上がって記念撮影(吉備津の薬師寺邸で=2012年9月30日撮影)
薬師寺さんの最後の著書となった『吉備の古代史事典』が出来上がって記念撮影(吉備津の薬師寺邸で=2012年9月30日撮影)

電話口で訪問する日を決めて、数日後、吉備の中山の麓、吉備津彦神社から吉備津神社につながる道沿いにある薬師寺邸を訪ねた。夕刊紙「岡山日日新聞」に連載した吉備を舞台にした郷土史の読み物があるので、それを本にしたいとのことだった。テーマは楯築遺跡。倉敷市庄にある楯築遺跡に祀られている人はだれなのか?3世紀後半の有力者であることは間違いなく、それは邪馬台国を収めていた人物に近いのではないか――という推論だった。
地域出版を始めるにあたって、郷土の歴史は必須項目だと伊勢新聞時代の先輩に教えられていたので、吉備の古代史をテーマにした本は、願ったりかなったり。「ぜひ」と言って、新聞に掲載された原稿を預かって帰った。
編集・制作は、歴史分野に強い金澤が担当した。組版、印刷・製本は三門印刷所に依頼。装幀は宮園洋さんにお願いした。
宮園さんとの打ち合わせは、表町3丁目の喫茶店モップだった。当時、宮園さんの仕事は東京と岡山が半々だった。岡山での仕事は、手帖舎のほとんどが宮園さんの手によるものだったので、後発出版社の我々としては、手帖舎の雰囲気とは違う装幀にしてほしかった。
「できれば、手帖舎とは違う装幀の雰囲気にしてほしいのですが」と、一応要望をいうと、「そりゃ、菊池信義に菊池じゃない装幀を依頼するようなもの。そんな無理なことはいわんで」と、出版関係者ならだれもが知っている装幀の第一人者の名前を引き合いにあっさり返された。
「なるほど」と我々は引き下がったのだが、宮園さんはそれなりに「吉備人らしいデザイン」を考えていたのだと思う。あがってきた吉備人出版第1号の『楯築遺跡と卑弥呼の鬼道』のカバーデザインは、楯築遺跡で発掘された石棺の壁面に塗り込まれた朱の色を使い、立体的な紙をつかったカバーだった。部数は3000部。かかった印刷製本費などと本の価格から割り出した印刷部数だった。もちろん、このテーマなら3000部は売れるだろうと予想していた。
1995年(平成7)11月7日、吉備人出版の名前で初めての本が出来上がった。(つづく)

『楯築遺跡と卑弥呼の鬼道』(ISBN4-906577-00-8)
『楯築遺跡と卑弥呼の鬼道』(ISBN4-906577-00-8)

(文・山川隆之)